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関根勤の過去とは?

関根勤(せきねつとむ)のプロフィールを説明


関根勤とは、日本のお笑い芸人。死刑賛成論者。読み方は「せきねつとむ」。本名。

生年月日は1953年8月21日。出身地は東京都港区。東京都立八潮高等学校を卒業。最終学歴は日本大学法学部管理行政学科。所属事務所は浅井企画。

浅井企画

芸能界デビューのキッカケは、TBS系バラエティ番組『ぎんざNOW!』。その中の企画「素人コメディアン道場」で五週連続で勝ち抜き初代チャンピオンに輝く。審査員だった浅井企画の社長だった浅井良二に見出された。1974年の話だった。

いいとも最長レギュラー

その後、1985年にフジテレビ系バラエティ番組『森田一義アワー 笑っていいとも!』のレギュラーとなる。その後はいいともが終了するまで出演し続け、もっとも長いレギュラーとなった。

芸名

旧芸名は「ラビット関根」。命名したのは桂三枝(6代目・桂文枝)。1975年にTBSラジオ『ヤングタウンTOKYO 桂三枝の大放送』で1975年の干支が「うさぎ年」だったことから、ノリで名付けたことが由来。

その後、テレビ朝日系バラエティー番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』で小堺一機と共にブレイク。いわゆる「コサキン」というコンビで、「クロコとグレコ」というキャラクターが人気になった。ちなみに最初は「コサラビ」だった。

それこで司会だった萩本欽一のアドバイスで本名の「関根勤」に戻した。その本名である「勤」の由来は、関根勤が生まれた1953年は父親が働き出してちょうど勤続25年という節目の年だったから。

関根麻里の父親

関根麻里の父親としても知られている。

ものまね

ものまねのレパートリーには、千葉真一や大滝秀治、ジャイアント馬場などがある。日本テレビ系列の『カックラキン大放送!!』では「カマキリ拳法」や「田村正和拳法」といった、ものまねと組み合わせた一発芸も披露した。

しかしながら、基本的には似ておらずクオリティーは低い。場末の劇場レベルで、いわゆるスベリ芸の一種。またほとんど新しいネタは更新されることはなく、長期間にわたって使い回しされているのが現実である。

引き笑い

バラエティ番組内においては、無理に引き笑いを奏でて、カメラに映ってない場面で注目を浴びようとする卑しい傾向がある。

また近年においては、若手お笑い芸人とつるみたがる傾向がある。しかしながら溶け込めずに浮いていることが多く、フリートークの水準も至って平凡。

作り笑顔

作り笑顔は天下一品で、徳光和夫の泣き芸に匹敵するクオリティーの高さがある
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