橋本策(はしもとはかる)のプロフィールを説明
橋本策とは、日本の病理学者・医者のこと。読み方は「はしもとはかる」。生年月日は1881年5月5日、没年月日は1934年1月9日。出身地は三重県阿拝郡西柘植村(現在の伊賀市)。
略歴
1907年に、京都帝国大福岡医科大学(現九州大学医学部)を卒業。第一期生。1912年にはドイツのゲッティンゲン大学へ留学。エドゥアルト・カウフマン教授とともに、尿路結核症を研究。しかし第一次世界大戦が勃発したため、1915年に日本へ帰国。翌年、35歳で父親のあとを継いで開業医となる。1934年、チフスに感染して死去。
橋本病
病理学者として活動した橋本策だったが、一番の功績は「橋本病」を独立疾患として1911年に報告したことである。現在は「Hashimoto's thyroiditis」という病名が世界的に定着している。研究者の名前が病名として使われることはままあるが、日本人の研究者の名前がついた病名はほとんどない。そのことからも橋本策の功績の偉大さが分かる。
ちなみに橋本病とは自己免疫疾患に伴う甲状腺の慢性疾患。主に30代から50代の女性に見られ、症状が酷くなると意識障害や痙攣などを引き起こすことがある。
しかしながら、欧米でその報告が認められたのは1930年代以降で、日本国内に至っては第二次世界大戦後の話になる。そのため橋本策は自身の功績を知ることなく死んだ。
【スポンサーリンク】