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デヴィ夫人の過去とは?

デヴィ夫人のプロフィールを説明

デヴィ夫人とは、日本の女性タレント。

主に体を張ったリアクション芸が得意なお笑いタレントとして知られる。ライバルには出川哲朗が挙げられる。70代女性とは思えぬチャレンジャーな企画に体当りする姿勢は、世の老人たちに希望を与えている。


経歴と国籍

生年月日は1940年2月6日。出身地は東京府東京市麻布区霞町。

15歳から女優を始めるも、『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』といった無名なエキストラ役しかまわってこなかった。定時制の東京都立三田高等学校に進学するも、翌年には中退。そして赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」でホステスとして働く。

19歳のときに「東日貿易の秘書」としてインドネシア共和国に移住し、当時の大統領だったスカルノの愛人となる。そして22歳のときに第3夫人として正式に結婚する。

しかし1965年の25歳のときに、インドネシアでは軍事クーデターが起きて、スカルノ大統領は失脚。それとともにデヴィ夫人の「大統領夫人」という肩書もなくなる。ただその後は「大統領夫人」という肩書を売りにして、日本国内などでタレント活動を行う。

つまり厳密に言うのであれば、デヴィ夫人ではなく『デヴィ50年前は夫人』『デヴィ元第3夫人』が正しい。そのため晩年まで国籍はインドネシアのままである。

ブログでの奇怪な言動

デヴィ夫人は2002年からブログを始めるも、奇怪な言動がたびたび注目される。

2012年には大津市で起きたイジメ事件に関して、加害者ではない女性の顔写真をアップロードして中傷。結果的に1100万円の損害賠償を求めた裁判を起こされる。2015年2月にはイスラム国に誘拐された日本人の人質に「自決」を促すなど、奇怪な言動にはいとまがない。

2014年に行われた都知事選挙である候補を応援したときには、公職選挙法違反の疑いで警視庁から警告を受ける。「私、外国人なので全然知らなかったの」など、こういった奇妙な言動の言い訳として外国籍を挙げる場合が多い。

暴行事件

また性格は気性が荒く、暴行事件などをたびたび起こしている。

2014年にはTBSのバラエティー番組内で女性出演者に平手打ち。1992年には、アメリカでフィリピン大統領だったセルヒオ・オスメニャの孫娘の顔をシャンパングラスで殴って37針縫う大ケガを負わせた。
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